oisanのブログ

高機能自閉症 発達障害子育てを中心に 色々思ってる事

過敏な社会(読み物)

私の個人的な意見考えです

そんな考え方をしてる人もいるんだなー

軽い読み物としてご覧下さい



とあるドラマを見て

現在と過去の違いをコミカルに見せていて

風刺が効いていて面白かった



発言の自由と言動統制 

飴と鞭


躾という体罰 躾という放棄

どう考えるかは人それぞれだけども


最近作られたルールから逸脱すると


すべてが悪だという

今の時代も何かおかしい  


ほんの数年前はまかり通ったルールが

現在では非難の対象だもの


そのルールを守るとほんとに素晴らしい人が

出来ると保証がされているわけでもない

ろくでもないひとが量産されてるのか

そこも分からないが‥


ルールを作って動きにくくがんじがらめにして

枠から外れると みんなで叩く

集団圧力? 集団リンチ 生きにくい世の中

ネットいじめとなんら変わらない状況じゃない?

怖い情報社会



悪い事をした子を 優しく諭して

理解する子もいるかもしれない

そんな優等生ばかりじゃない


理解せず反発する子は?

叱らずにどう育てる? 


指導放棄して 野放しのお猿にする?

躾という暴力で 

周りからの非難攻撃に耐えつつ

子の指導に力を注ぐか


どちらにせよ難しい子育てを強要されてる

今のお母さん達は可哀想


子が悪さをして集団からメディアから

総攻撃されるそんな時代 

親の躾がと言うが

どう躾けるのが正解なの? 


叩いてでも言う事聞かせると簡単に言うが

実際やると 

体罰行きすぎた躾と叩くのだから

世の中理不尽だよ


今の時代に合わないと物語まで改竄され

教訓の戒め的な話が 

みんなで仲良しこよしの大団円


謝るとなんで何でも許されてしまうそんな物語に

なってるのは違うと思う


今の時代に合わないと改竄して

物語まで変えてしまう

戒めや教訓なんか何一つないもの

なんのために書かれているのか

子供の躾に利用していた物語が

‥なんの役にも立たない仲良し物語に


おてて繋いでゴールインとか

競技は競争なのにお遊戯会に

一体何を目指しているのだろう


なんで物語まで今のやり方に

沿わないといけないの?

競技は競争 順位があって当たり前

競わせる事で得られるものもある筈なのに


物語ぐらい 

自由な表現方法を 

作者がなぜその話を作ったのか

考える余地を残しておいて欲しいものだ



そのドラマにもそれが言えるだろうな

過去がいいわけでも 現在がいいわけでもない

何事にも程々がいい 目的を見失うなと

伝えたいのはそこだと理解してみてはいるけど



時代錯誤甚だしいという者と 

あの頃は良かったという者と 

いろんな意見はあるけども

ドラマ自体過剰表現なので面白いが

なかなか現在の社会のあり方を皮肉っていて

面白いと思ってしまう



野生の動物が じゃれあったり噛み合ったりして

どのぐらいの力で噛めば痛くないのか 

どれぐらいなら 耐えられるのか 小さい時に

経験する 必要な経験であると

野生動物のドキュメンタリーでよく見る光景



今それが人間社会で出来ていない

子供達の学びの場にまで親が介入し

被害者加害者とラベリングして

法で裁く 嫌な世の中になったものだ



どのぐらいの力でどれぐらい痛いのか 

どれぐらいで傷ついてしまうのか

痛みを知らない世代ってのも

かなり怖いものがあるけど


痛み悲しみを知ると人は他の人にも

優しくできると言う 

劣等生の気持ちは劣等生には理解できても

優等生には劣等生が理解できないものなのよね



痛みを知らない者達は?

学ぶ機会を奪った大人達の責任ではあるけど

本当に大丈夫なんだろうか?


×

非ログインユーザーとして返信する