oisanのブログ

高機能自閉症 発達障害子育てを中心に 色々思ってる事

病欠


遅刻するよ?早くしないとだめやん?急げー
と急かすなか

具合が悪い、熱はないけど頭痛い、お腹が痛い、
心臓が痛い、吐きそう
 
と調子が悪そうな発言を言い出した‥
「どうしたいの?」と聞いてみたところ
病院に行きたいと言ったので

遅刻申請してたけど 病欠連絡を申請し直しして
病院へ

診察室では他の子どもの泣き声が気になってしまい
落ち着きのない様子
声のする方へ何があるのか
確認に行ってしまう
待ち時間も『暇ー暇ー』とうるさい


看護師さんしか入れない
場所も平気で入っていってしまう
何とか連れ戻して

診察も終わり帰る
先生からは消化の良いものを食べさせて
との事だったが

『お腹すいたー揚げ物が食べたい』
先生の助言も全く意味がない 


昨日のおでんの残りが残って
消化にいいから
家で煮物でもと話したのだが

『嫌だー売店のお弁当食べたい』
渋々売店でお弁当を買って食べた
ミックスフライ弁当を喜んで食べていた

病院の会計終わってお薬処方してもらい
薬局で貰うのだが

『私錠剤飲めない』とか言い出した
今まで平気で飲んでたのに‥?

魂胆はわかっている 服薬ゼリーが欲しい様だ
先ほどあちこちみて回って
服薬ゼリーの前で足を止めていたので

「今まで飲めてたのに何言ってんの?」
『飲めないのー』と喚く中
「これで良いです」と言って薬を受け取って帰る
『ゼリー買おう』
「やだね」

車で帰る中 
『錠剤は飲めないの』と言い張るので

「飲まなきゃ良いよ、飲めないなら飲まなくて良いよ 
我儘にそこまで付き合えないから、薬は飲まなくて良いんじゃない?病院に行く必要もないよね?
今後薬は飲めない様だから?行く意味もないよね
ゼリー?そんなものがないと飲めないなら、
飲まなくて良いよ

何のために病院に行ったのかわからないけど
良いんじゃない 薬飲めないんなら飲まなくて
半日無駄になったね」と話したら

『飲みます』と言い出した
「無理に飲んでもらわなくて結構、良いよ飲まなくて?

口論しながら帰宅
メチャクチャ元気なんじゃないだろうか?

部屋に戻るなり薬を飲んだ様だ

『お薬飲めました』

「へー無理しなくて良かったのに」

『ごめんなさい』と謝ってきたので
腹が立つが許してあげました。

病人なら病人らしく寝てて欲しい
仮病なんだろうか?

挨拶 人との距離感

最近、見知らぬ人に娘自ら声掛けをする様に

なってきた


挨拶は良いことではあるので

注意はしないけど、心配事でもある

年齢が上がるとともに積極性は

失われていくものだと思っていたけど違うのね



近くに居る人にも積極的に、話しかけにいってしまう同級生の親御さんにも、『聞いて聞いて』と

自分と相手の関係性とかあまり考えていない

迷惑になるかもとか、考えたりしないのだろう

 


親子関係とか親族関係

お友達や先生 知らない人

他人

その辺の関係性がもしかしたら

彼女には薄いのかもしれない

関係性関係なく人と人として

話したりしてるのかもしれない


他所の家自分の家 親戚の家 

その辺の感覚も何か

何とも言えないが何かが足らなくて不安になる


普通であれば

ここは静かにしていないとダメな場所とか

ここは騒いで良い場所とか


場所の雰囲気でなんとなく察する事が出来る

ここは家だからやっても良い

ここは他所の家だからダメってのが

意識が薄いのか


その辺がちょっと足らないのかもしれない

経験不足

経験で覚えるものなのだろうか、

特性故の感覚の違いから出現する

何かなのだろうか?


家に関しては注意等毎回しているけど

親がついて回る事はしていないので

どうなっているのかは分からない 

ちゃんとしてるやっていると話してはいるが

本当かどうかはわからない



物怖じせず積極的に人と関わりを持とうとする事を

伸ばすべきなのか

それとも、もう少し警戒心を持つべきと

注意するべきなのか


色々と悩ましい


集団行動と個人行動

集団行動が苦手だ

私もそうだった


それでも嫌々ながら従い、集団行動をとるのが、

当たり前 それが人間社会

社会の在り方とはそういうものだと

従わないといけないものだと、学校生活で学んだ

そうしないといけないと 空気を読んでいたのかもしれない


従わないものはそれ相応の何かがあった

(昔はそうだった)

そう理解し、渋々従っていた。それが当たり前で

しょうがない事だと思っていた

‥嫌だけど出来ない事では無いから従う 

それが学校というものだった



子供が、その当たり前を砕いていく

見学学習も学校に残って別の活動をしていたり

頑固もここまでいくと才能なのかもしれないと

最近思う様になった


私の時代は

長いものに巻かれた方が、世の中渡っていく為に

簡単だと教えてもらった そんな時代だった(?)

私はそんな幼少期だった、気持ちが違くても

顔には出さず従い こなして行くのが上手い生き方

それで世の中うまく渡れるもの、そう言うものだと

思って生きてきた。そう教えられた、それが当たり前の

時代だった



我が子はそうじゃないらしい 嫌なものは嫌で

従うことはしない やりたく無い事はやらない


どう先生を説得して、見学学習に行かない事を

を許可されたのか、認めさせたのか、

昔の様な強制的な指導は無いのかもしれない

それでも凄いことの様な気がする



簡単じゃない所に道を作っていく我が子の意思の強さ?

前例のない何か変わった存在なのだろうなと思う

空気が読めないからこその

自我を優先させる行動なんだろうか?



褒められる行為では無いのだが

何か凄い楽しそうな生き方をしていて羨ましくもある

何でそんなに難しい生き方を選ぶんだろうかとも

思うけど‥

いっそ、流されてしまえば楽なのにね、凄いわ