最近、見知らぬ人に娘自ら声掛けをする様に
なってきた
挨拶は良いことではあるので
注意はしないけど、心配事でもある
年齢が上がるとともに積極性は
失われていくものだと思っていたけど違うのね
近くに居る人にも積極的に、話しかけにいってしまう同級生の親御さんにも、『聞いて聞いて』と
自分と相手の関係性とかあまり考えていない
迷惑になるかもとか、考えたりしないのだろう
親子関係とか親族関係
お友達や先生 知らない人
他人
その辺の関係性がもしかしたら
彼女には薄いのかもしれない
関係性関係なく人と人として
話したりしてるのかもしれない
他所の家自分の家 親戚の家
その辺の感覚も何か
何とも言えないが何かが足らなくて不安になる
普通であれば
ここは静かにしていないとダメな場所とか
ここは騒いで良い場所とか
場所の雰囲気でなんとなく察する事が出来る
ここは家だからやっても良い
ここは他所の家だからダメってのが
意識が薄いのか
その辺がちょっと足らないのかもしれない
経験不足
経験で覚えるものなのだろうか、
特性故の感覚の違いから出現する
何かなのだろうか?
家に関しては注意等毎回しているけど
親がついて回る事はしていないので
どうなっているのかは分からない
ちゃんとしてるやっていると話してはいるが
本当かどうかはわからない
物怖じせず積極的に人と関わりを持とうとする事を
伸ばすべきなのか
それとも、もう少し警戒心を持つべきと
注意するべきなのか
色々と悩ましい
集団行動が苦手だ
私もそうだった
それでも嫌々ながら従い、集団行動をとるのが、
当たり前 それが人間社会
社会の在り方とはそういうものだと
従わないといけないものだと、学校生活で学んだ
そうしないといけないと 空気を読んでいたのかもしれない
従わないものはそれ相応の何かがあった
(昔はそうだった)
そう理解し、渋々従っていた。それが当たり前で
しょうがない事だと思っていた
‥嫌だけど出来ない事では無いから従う
それが学校というものだった
子供が、その当たり前を砕いていく
見学学習も学校に残って別の活動をしていたり
頑固もここまでいくと才能なのかもしれないと
最近思う様になった
私の時代は
長いものに巻かれた方が、世の中渡っていく為に
簡単だと教えてもらった そんな時代だった(?)
私はそんな幼少期だった、気持ちが違くても
顔には出さず従い こなして行くのが上手い生き方
それで世の中うまく渡れるもの、そう言うものだと
思って生きてきた。そう教えられた、それが当たり前の
時代だった
我が子はそうじゃないらしい 嫌なものは嫌で
従うことはしない やりたく無い事はやらない
どう先生を説得して、見学学習に行かない事を
を許可されたのか、認めさせたのか、
昔の様な強制的な指導は無いのかもしれない
それでも凄いことの様な気がする
簡単じゃない所に道を作っていく我が子の意思の強さ?
前例のない何か変わった存在なのだろうなと思う
空気が読めないからこその
自我を優先させる行動なんだろうか?
褒められる行為では無いのだが
何か凄い楽しそうな生き方をしていて羨ましくもある
何でそんなに難しい生き方を選ぶんだろうかとも
思うけど‥
いっそ、流されてしまえば楽なのにね、凄いわ