子供が朝から“死にたい“発言をして
なかなか学校に行く準備に取りかからずに
ダラダラと時間だけが刻々と過ぎていく
現在は、まだお仕事をしていないけれども
仕事探しに尽力を尽くす中
やはり、邪魔をしてくる様だ
死にたいという単語を使うと
大人が優しく接したりするんだろうか?
味を占めての発言ではないだろうか?
一応何故そう思うのか聞いてみたら
怖い夢見たので死にたいとの事だった
怖い夢を見て死にたい?
いじめなどは特に無いそうだ
他の言葉に言い換えれないのだろうか?
怖い夢をみて 死ぬほど怖かったという表現なら
納得できるんだけどなぁ
どんな夢の内容なのかは聞いても答えないので
わからない
死にたい?今、死ぬや死にたい死ね単語が
子供の中でブームなのだろうか?
しかし何故死ぬと楽になるって発想に至るのか
その辺が分からない、本当に死んだら楽になるの?
死んだらどうなるのか分からないのに?
死ぬことが安らぎになるものなの?
戻ってきて報告する人なんか居ないのに?
何故幸せだと断言できるのだろうか?
死なれた人たちへの慰めのための
死んだらきっと安らかに暮らしているとの
慰めであって現実にそうとは、限らないのでは無いのか?
宗教は死なれた方達への慰めで
生きていく人たちへの救いであって
現実にそうとは断言出来ない
善を尽くして死後幸せに?
本当かどうかなんか誰一人わからない
死への恐怖に立ち向かうための、良い行いを促す為の
物語であってフィクションだと思わないのかな?
子供の時自分も希死念慮(キシネンリョ)は
有った ただ誰かに伝えることは避けていた
一人悶々と涙することもあったけど
『なんで生まれてしまったんだろうとか?』
今自身の境遇に不満があるみたい
卵子にいち早く泳いできて勝ち取った生なのになぁ
そんなの生まれてしまったんだから
生まれた事を悔いる事なく生きたらいいのに
遺伝で思考行動とかも似てくるんだろうか?
学生時代は鬱屈して落ち込むことが多かった
成人して世界が開ければ死ぬ選択肢を
選択せず良かったと思う時が来るんだけどね
(思考も遺伝するのであれば)
学生時代の狭い世界 集団行動
そんな世界はほんの少しの時間
何も考えずに指示に従って動いていれば
楽だった学生時代(当時は苦痛だった)
世界は広いのでもう少し頑張って長生きして欲しい
人生は死ぬまでの暇つぶし
そんなに深く考えなくても、いずれ死は来るものだし
自分の行動に誰も指摘されずに自由に行動できる
大人と呼ばれるものになってから
自由と自己責任とかを、経験してからでも良いのでは?
ここに自分の居場所が無いのなら
探すのを目的に旅をしてみても良いのかもしれない
出来れば私より長く健康で
生きていって欲しい